権利の主張なのか、強者になりたいだけなのか、分からなくなってきた
デモとか襲撃とか法律を変えるとか。
幼い頃は見かけなかった(気にかけていなかった)ニュースを、ちまちま見かけるようになったなぁと思います。
成長するにつれて、人の主義主張には多様性があると学んでいったからでしょうか。
でも最近は、その騒動に少し違和感を抱くようになりました。
出生証明書の性別、「X」登録可能に 来年1月1日から | Daily Sun New York
医療を筆頭に技術が磨かれてゆく中で、性別による役割というものは次第に薄れていくだろうと予想しています。
なので性愛の個人差や性別によって差別を生むべきではないという主張について、自分は理解を示し、そして同意します。
性別の役割が今よりも薄れるであろう世界において、そんな差別をするのは無駄なことだと思うから。
ただ性別を隠すのは、例え性認識と肉体の性別が異なろうとも、データ上は肉体の性別を記録させておくべきだと思います。
上手く表現できないのがもどかしいのですが、性認識の不一致の理解を求める気持ちは分かるけれど、それは個人の内部の問題であり、公的な情報においては今まで通り肉体の性別で分けるべきという考えです。
だって性別Xを認めたら、男性、女性、性別Xに分けて物事を進めなければならない訳ですよ。
面倒じゃありませんかね、という単純な感想。
決して反対している訳じゃなくて。
あ、でも今思うと、何で性別欄の記入があるんだろうね。
男女別で統計を取るような書類なら分かるけど、性別関係なさそうなところでも性別記入がありますよね。
うん、分からなくなってきた。
ただ、出生証明書みたいな、肉体の性が絡む書類には男女の区分けだけで良いような感覚的話。
性別の歴史的背景と性別Xについての知識が浅くて理由が文章にカッチリまとまらないという、残念な結論になってしまいました。
とりあえず今感じている違和感を書き記しておけば、いずれ文章に固まる時が来るだろうと願います。