差別を教育するから差別が生まれる闇スパイラル
アダムとイブが蛇に唆されて禁断の知恵の樹の実を食べてしまい、楽園追放となったのは有名な逸話ですよね。
それまで衣服を身に着けないで生活していたのに、知恵の実を食べた途端「男」と「女」を意識し始めたことも。
この逸話、ヒトが自意識を手に入れた(ことで他者を意識出来るようになった)話であると言う人もいるみたいです。
つまり個をより小さく線引きして分断し、それぞれにラベリング出来るようになったということですね。
(元々1つだったアダムとイブを2人という別物と認識した)
それを踏まえ、知恵は使い方を間違えると争いの火種になるなぁと思ったのです。
アダムとイブで話をすると、最初この2人には「お互いが異なるものである」という自覚が無かった訳です。
実体としては2であれど、認識では1でしかなかった。
つまり、知恵(意識)さえなければ「対立」という現象も2人の間には存在しなかったのです。
これを現代に置き換えてみます。
この世に生まれてきたばかりの赤ちゃん(無知)の時、だいたい誰に対しても笑うか泣くかで良い悪いの判断がつけられない(ように見える)反応を示します。
そこから様々な知恵を身につけて大人になると、他者のことを悪く(良く)言ったり嫌い(好き)になったりして、良い悪いの判断を自ら線引きします。
知恵の獲得は教育を通して行われます。
となると、ぶっ飛んだ話になりますが、教育が対立(差別)の原因になっていると考えられないでしょうか。
だって対立(差別)される理由(線引き)を知ってしまうのですから。
そんなことを聖書の逸話とTwitterのリプ欄を読みながら、ふと思ったのでした。