取り巻きの立場に喜ぶ先は虚無
Twitterでも触れたのですが、非常に熱量を感じる文章を見つけたのでシェア。
特にTwitter界で見られる現象について、ズバッと切っています。
嫌いな人について書きますが決してこの文章はこれを見ているあなたのことを書いているわけではないので安心してください。|メガネをかけた生物@meganeデスク|note
Twitterでのリンク先(はなた匿名ダイアリー)は無断転載だったらしく、改めて元リンクを貼ってみる。
どうやらnoteだったみたいです。
(外部に漏らしてほしくないとあるけど、シェア機能のあるサービスで投稿しているのはどうすべきか…)
誰かを中心とした組織の存在は、どこにでもあるものです。
組織の人間は中心人物に共感して集まった者たちなので、そりゃ組織は宗教であり宗教は組織だろうなぁと。
このような光景を見ると、問題なのは中心人物の取り巻きが「取り巻きであることに満足してしまっている」ことなのかなぁと思います。
他人と異なる立場を取るには、現在の強い否定をすることが手っ取り早いです。
世間(現在)に馴染めない人を掬い取るのが宗教の始まりであり役割ですから、組織も同じですね。
そして掬い取られた人間が「許され救われた」気になるまでなら良いのですが、その力が組織の外に向かうとただの「過激派」ではないでしょうか。
(中心人物が過激派の場合もありますが)
しかし、その過激な組織が(組織内での)新しい常識を形成するのも事実です。
そして、その価値観が、また誰かに否定され…。
そうすると、リアルもオンラインも人間が絡む以上殴り合いが始まるんだなぁと諦めの気持ちに至りました。
そういう人もいるんだなぁ自分は要らないや、くらいの気持ちでいられれば平和になるのでしょうか。
世の中ってのは、主張があれば対立は避けられないんですね。