書く力と読む力を身につけないと自分も周りも不幸にする
記事のまとめ
読み書きの力が足りない為に無駄な争いをしている現象が(特にSNSで)見られる。
母国語で読み書きの基礎を身につけることが大事で他国語は横展開。
教育を受けたのに文章が書けない、読めない
日本の教育環境って世界の中でも恵まれている方なんだろうと思います。
しかし、義務教育を受けたにも関わらず、記述力や読解力が足りない為に無駄な対立が起きているとSNSに触れて感じます。
よく見かけるものとしては、Twitterのリプライで元となる主張の筋と離れたことを突っ込んでいるものが挙げられます。
Webニュースのようなメディアとは異なり、SNSは素人でも気軽に呟くように発信出来る場所なので、どうしてもメディアより情報の質が悪かったり言葉足らずだったりすることもあります。
(個人でも素晴らしい発信はありますし、メディアが必ずしも正しい訳ではないです)
そのような発言に対して単語だけを見て過剰反応したかのようなコメントを投げている人を意外と多く見かけます。
その流れを見る度、無駄な争いが起きていると思いつつ、言葉を操ることの難しさを再認識しています。
まずは母国語を学ぶ
グローバル社会だとかで、日本では英語教育を少しでも早くから始めようといった風潮が広がりました。
しかし英語教育の前に、まずは母国語で思考して伝える力を鍛えることが先だろうと思います。
何故なら、言語(単語)というものは文章の作り方と解き方という台の上に乗って初めて力を発揮するものだからです。
故に、まずは母国語で文章の読み書きのベースを鍛えてから他国語に横展開させるべきじゃないでしょうか。
また、翻訳機能技術の精度が高まりつつある時代では単語や熟語を知っていることは特別な知識になりません。
簡単に単語の意味が分かってしまうようになってしまえば、それこそ書く力と読む力が問われる世の中になるのだろうと思います。
言葉の摩擦は身近なことだから
自分も義務教育を受けた身ではありますが、今でも言葉の使い方は難しいです。
(当ブログを見ればバレバレですね)
言葉は相手の受け取り方で簡単に意味が変わってしまうもので、自分1人が頑張ればどうにかなる問題ではありません。
だからこそ、義務教育中であっても義務教育を終えてからでも、言葉に接して使いこなす訓練をする必要があると思います。
声を発するリアルタイムさが得意なら会話を。
ゆっくり熟考することが好きならSNS(ブログ)を。
それぞれの得意なことに絡めて、日々学ぶ必要があるのではないでしょうか。