マキめも

日々の思考と感情の雑記帳。

諦めの先、平穏という幸せ

 

記事のまとめ

幸せは精神の死。

嫌なら戦うしかない。

 

 

幸せって何だっけ

 

幸せに生きたいというのは誰しもが抱いたことのある感情だと思います。

でも、幸せって何ですかと聞かれると答えに詰まる人もいらっしゃるんじゃないでしょうか。

 

お金持ちになりたい。

結婚したい。

ひょっとしたら、このような願望を幸せの定義に結びつける人もいらっしゃるかもしれません。

仮に願望を幸せの定義に結びつけたとして、本当にそれが幸せなのかと改めて考えてみると違うように思います。

 

お金持ちになったら、保有する資産を狙う者たちに警戒しながら生きていかねばならないかもしれません。

結婚したら、生活を供にする者との価値観の相違苦しみを感じながら生きていかねばならないかもしれません。 

○○になりたい、したい、といった事の達成を幸せに結びつけていては、ただの瞬間的な感情の高ぶりに終わってしまいます。

決して、持続するものとはならないのです。

 

では、幸せとは何なのか。

それは自らの感情の平穏なのではないでしょうか。

 

 

 

執着しない

 

1つの事の達成を幸せと定義して執着してしまうと、それが叶わない間は満たされない気持ちになってしまいます。

そこで、瞬間的なものではなく持続性のあるものとして幸せを定義すれば、自らの感情が穏やかに保たれることとなります。

 

では、持続性のある幸せとは何か。

それは、求めることなく全てを受け入れることだと考えています。

言い方を変えれば、欲を辞めた(諦めた)世界に生きることになります。

 

欲が無いなんて死んでいることと同じだという人もいらっしゃるかもしれません。

むしろ精神の死に近い状態こそ持続性のある幸せだろうと自分は思っています。

 

一喜一憂せず、今の自分の全てを受け入れて向き合う。

そこに他者との比較を入れず、ただ自分にはこれがあると認識する。

その認識を通して求めすぎないことで、穏やかな状態になれるのではないでしょうか。

 

 

精神を死なせたくないなら戦うしかない

 

精神を死なんて生きている意味がないと思うのなら、 生きる為に戦うしかないです。

傷ついても、苦しくても。

常に己の欲と戦い続け、人生の最期の時にようやく幸せを迎え入れるだけ。

 

欲が無ければ人類の文明が発展しないなんてことも気にする必要はありません。

もともと無くても人類は存在していました。

 

欲の喪失による緩やかな精神の死。

それこそが、持続する幸せなのです。