Twitter、Facebook、レターポットから価値の表現方法を考える
記事のまとめ
これから物事への価値の評価方法が更に多様化する時代となります。
たくさんの宗教思想を持って楽しく生きよう。
価値の表現する幅が広がっている
最近、物事の価値を表現する方法に革命が起きていると感じています。
Twitterのフォロワー数、Facebookのいいね!、レターポット…。
これら全て、「価値がある」という人々の想いが数字として誕生した形になります。
現代の価値の表現方法として主流なのは、「お金」ですよね。
でもそれって、「ただの紙」(日本の話をすると)なんですよ。
日本銀行券なんて印刷されるだけで塵紙よりずっと大切に扱われるようになるなんて、考えてみれば宗教じみた話ですよね。
そう、価値の表現って結局は宗教みたいなものなんです。
宗教の多様化
「○○に価値がある」という共通した思想さえ作ってしまえば、価値を表現する仕組みは成立してしまうんです。
例えば誰かが「お金は紙だ!文字に価値がある!」と言い出して、共通の思想を持つ人でコミュニティを作ったとしましょう。
すると、そのコミュニティ内で価値を表現する方法は「文字」になります。
なので今の私たちがお金で支払いをするように、そのコミュニティでは文字で支払いをするようになるんです。
(例としてレターポットのざっくりした話を出しました)
ここで自分がこれから面白くなるんじゃないかなと予想しているのが、(価値の)宗教の多様化による富の分散です。
現代の価値の表現方法は、ほとんどのエリアで「お金」という宗教に限られています。
この一神教だと、限られたところにしか価値(富)が集中しないのが明らかですよね。
ここで「お金」以外のところに価値を置くと「お金以外」の数だけ価値(富)が広がるので、集中しにくくなるんじゃなかろうかと思っています。
そして先には、一度グローバル化に進んだ世界がコミュニティ化(宗教化)するのではないかとい自分は予想しています。
しかも一神教に染まるのではなく、多くの思想を認めながら用途に応じて使い分けるといった世界です。
そうすると、おそらく価値観の幅が広がって人間の生き方が緩やかになるはず。
今はまだ上手く言語化出来ませんが、グローバルなコミュニティ化という表現として、この記事に記しておこうかと思います。
今の私たちは「お金」に囚われる常識を捨てて、「価値表現の多様性」を考えなければならない時期に来ているのかもしれません。
オマケ
レターポットやってます。
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