善も悪も無い世界の中で、どう生きるか
正義とか悪とか、そういった考え方を人類は結構好みますよね。
正義の反対は悪じゃなくて別の正義だ、なんていったセリフも耳にします。
でも、世界には善や悪といったものは存在しません。
善や悪または正義といったものを定義するのは、人類の信仰です。
だから、いくら「正義」とか「より良い環境」を叫んで争っても、世界という存在は何も変わらないのだと虚しくなります。
この虚しさの説明を上手く出来るか分かりませんが、次のような話です。
例え森林伐採で人類が「環境に悪い」と判断しても、「世界という枠組みがある」だけで実際は良いも悪いも無いみたいな。
状態(存在)と定義(判断)は別の話だよね、みたいな感じで、そこにどうしようもない感情を覚えてしまうのです。
さて、こうなると生きるモチベーションを上げるのが大変です。
だって「努力とか改善をしても自己満足でしかない」といった思考回路に陥っているのですから。
上司とかに話そうもんなら「ゴタゴタ言わずにやれ」と言われそうな案件です。
ひょっとしたら、この虚無を受け入れて、いずれは消える結果を達成するようにならなければならないのかもしれません。
そこに至るのに、悟りの力が必要なのかもですね。
まとめると、「これやれあれやれ」よりも「諦めて受け入れろ」の精神。
ふむ、人類史と宗教について調べてみる必要がありそうです。