セックスとエゴとコミュニケーション
レイトショーで「娼年」を見てきました。
原作未読、R18の予告に惹かれて劇場に足を運びましたが、見て良かったなと思える作品でした。
おそらく気持ち良いセックスというのは、相手の背負っている傷(=相手の人生)を優しく包み込んであげることなのだろうと思います。
キスして濡らして挿入して果てる。
人間の感覚なんて、そんなマニュアル通りにはいかず。
特に初回の相手には「自分の快感(性癖)を相手が受け止めてくれるか」という不安を抱えながら身を委ねるものです。
しかし実際、自分が見てきた世界が常識だとして、そこから逸脱した人間を受け入れることは非常に難しい。
焦らし、放尿、寝取られ、声、SM…。
確かに欲求として存在するのに、誰も受け止めてくれない悲しさ。
その心の闇を満たすセックスワーカーは、究極のコミュニケーション業だと思います。
人生に必要なのは“都合のいい人間” 性を描き続ける映画監督・三浦大輔が語る「現代のモテる男」 - 朝日新聞デジタル&M
…とまぁ、綺麗な言葉で締めましたけれど。
金銭のやり取りがあるから受け止めてくれるだけということもあるんですよね。
ふと冷静になった時に、ちょっぴり切なくなりそうだなと思ってしまいました。
相性(都合)の良い人間は金で買うのが早いけど、買い続けた先に何があるのかというのは未知の世界です。
ここからは自分の数少ない経験談からの話。
(興味なければスルーでお願いします)
充実したセックスを与えてくれる人は、人間観察が上手な人が多く仕事でも地位を築いていました。
言葉にしなくても需要に応えられるのだから、そりゃビジネスでも成功するよなぁと。
そして察することが出来るから、自然体で女性に好印象を抱かれるんですよね。
自分も学ばなければいけないなぁと思いました。