マキめも

日々の思考と感情の雑記帳。

ネットの世界で新興宗教に煽られ流されない為に

記事のまとめ

夢物語を語る新興宗教に、知らぬ間に踊らされることがないように。

不満は自分の力で潰せ。

 

 

反社会的な発信に協調してしまう人が生まれる環境

 

インターネットのおかげで、個人が簡単に情報を発信出来るようになりました。

つまり、情報源が急激に増え、発信者の背景も多様化しているということです。

 

あらゆる背景を持った人がいるという時点で、100%ではないにしろ、もはや現実社会と人の層は変わらなくなりつつあります。

これは現実社会とネット社会の2つが同時に存在しているようなもので、この2つの世界を人は行き来している状態です。

つまり、現実社会の出来事がネット社会に反映されたり、ネット社会の出来事が現実社会に反映されたりする訳ですね。

ただ、現実社会とネット社会の違いとして、ネット社会の方が愚痴や不満が自発的に出やすいのかなと思います。

 

現実社会で吐き出される愚痴や不満は、実際に人と対面している時(酒の席など)に漏れ出すことが多く、話している側も自分のメンツを気に掛けながら話すといった感じです。

愚痴や不満が暴走しそうになっても、リアルタイムで反応を示す人がいるのでストッパーの役割をしてくれます。

現実社会での愚痴や不満の吐き出し先は互いに知った人なので、聞き流すことはあっても変に無責任なことは言えない条件です。

 

一方ネット社会で吐き出される愚痴や不満は、個人が呟くような形で漏れ出し、匿名性に個人が守られている為か過激な発言も飛び出します。

愚痴や不満を募らせて病んだり攻撃的になったとしても、基本的にリアルタイムで止めてくれる人はいません。

自らと似たような愚痴や不満を見つけては共感したり、その愚痴や不満を肯定して推進するような発言をしてくれる人を「良き理解者だ」と思ってしまったりするようなことさえあります。

 

さて、愚痴や不満というのは、そもそも「自身が自身の属する社会に馴染めていないから」生まれるものです。

つまり、(自身の属する社会に対して)反社会的な思想や感情です。

そうなると、ネット社会というのは「反社会的な発信に強調してしまう人」という存在を生みやすい環境であると考えられないでしょうか。

 

 

辛いから甘い言葉が欲しくなるけど

 

おそらく現代社会で多数を占める愚痴や不満は、仕事のストレスではないでしょうか。

残業続きだったり休日出勤だったり、組織が優先され個人が軽んじられているという話も耳にします。

また、失敗できないという責任を強く感じ、精神をすり減らすということもありますね。

自分も仕事と人間関係に馴染むことが下手で、悩み心折れそうになってしまった経験があります。

 

仕事のストレスを抱えた人の中には、身体と精神をボロボロにしながらも生きていく為に仕方なく働くという層も多いと思います。

そんな社会に馴染めなかった層(弱者)に対して「独立して在宅勤務すれば解放される」だの「社畜は思考停止」だのという発信は、自身の愚痴や不満を肯定し、現状を打破する希望をくれる甘い蜜なのです。

 

反社会的な発信という甘い蜜は、弱者の貴重な栄養源として大切にされます。

しかし、その甘い蜜がどのように作られているのかを消費者(弱者)側から言及することはありません。

製造者(発信者)側から与えられる情報を飲み込んで、甘い蜜という結果さえ得られたら良いのですから。

 

恥ずかしながら自分も甘い蜜に踊らされ、甘い蜜の製造過程を検証せずに現実世界の状況を否定しがちになった時期がありました。

でも本来は製造過程を知ることが一番大事で、その甘い蜜は「誰が作ったか」「どのような理由で作られたか」「売れた利益はどこにいくのか」ということを考えるべきなんですよ。

食品のトレーサビリティと全く同じです。

従って、甘い蜜の中にある反社会的な発信に対して「発信者の背景と実績」「発信することで誰にメリットがあるのか」という冷静な眼差しを向けなければなりません。

 

 

愚痴も不満も自力で潰せ

 

自力で検証せず発信に流されるままだと、良いように搾取されてしまうんだろうなと思います。

自力で検証しないということは、人生選択に迷いながら決定する経験を放棄するということです。

要は、人生に責任を持てないということ。

そんな生き方では、ただの操り人形として扱われるだけです。

 

生きていれば、現状に愚痴や不満は当然出てきます。

しかし、そこで愚痴や不満を吐き出して共感されるだけに終わらせないことがポイントです。

 

愚痴や不満は何に対して出てくるのか。

それを無くす(軽減させる)為にはどうしたら良いか。

ということについて、時に他人の力を借りながら試行錯誤した末に、愚痴や不満を潰す努力をしなければならないのです。

そうすることで、人は(愚痴や不満の)勝者となるのです。